千葉競輪場(千葉県)
1949(昭24)年〜

有事に備え東京・牛込の陸軍士官学校内に鉄道大隊が創設された
その後中野に転営、連隊に昇格して
鉄道第一連隊として千葉県に転営
そこを
第二次世界大戦中アメリカ軍により狙われた
いわゆる
千葉空襲である


戦後、戦災復興計画に基づき陸軍の鉄道第一連隊跡地は千葉市初の総合公園に整備された
その一画に戦後復興資金捻出の為、
競輪場が建設され

1949(昭24)年:
千葉市主催による千葉競輪が開催された
1周500mの直線の長いバンクには連日、多くのファンが集まった

走路外側全周に金網の替わりとしてポリカーボネート(透明板)を全国の競輪場で初めて設置した



<昭和41年度・市川市七市共営主催・連勝単式車券>


県中央部に位置し、都心からのアクセスも悪くはない場所であるが
近年、趣味の多様化によりファンの足も遠のきはじめたという全国の競輪場
単なる
自転車操業とならぬよう、存続努力に期待したい



千葉県千葉市中央区弁天